『辞書はジョイスフル』(柳瀬尚紀)
言葉が大好きな人間が書いた文章は、やはり読んでいて楽しい。
私自身は、ありもしない日本語を次から次と創造するという所業にはいささか抵抗があるほうなのだが、ジョイスの作品やそれを訳した柳瀬氏の作文を覗いていると、なんだかそういう日本語との付き合い方もありなのかもしれない、と惑わされる。
日本語には仮名と漢字とがあり、その漢字というのも一字に対して読みが一通りでなく実に多層的で複雑なシステムを構築しているから、欧米の横一列の言語とはまるで勝手が違う、それが日本語の魅力でもあり外国人から見たむつかしさでもある、というようなことを、最近読んだ『閉ざされた言語・日本語の世界』(鈴木孝夫)という本でも言っていた気がする。
多分柳瀬氏の訳した『フィネガンズ・ウェイク』をフルに理解しようと思うと、柳瀬氏の使用した辞書を残らず揃えて7年半かけて読まねばならないかもしれない。
だがそれほど深長で重層的で猥雑な意味と音韻とのせめぎあいを追求した作品というのも、あって良いのだ。単なる心理描写や行動描写、情景描写だけが小説ではない。
言葉遊びに目のない方は是非ご賞翫あれ。
遊びと言っても単なる戯れではない。
至極真面目な、生死をかけた、丁々発止の千本勝負である。